「竹寺に行こうかぁ」
「それ何処」と不意を疲れた表情を一瞬見せたが、誘いに乗ったから腰を上げドアーの方向に進むと、遅れまいとして慌てて付いて来た。
和歌子は道々バッグの中から取り出したガイドブックを見つめ、この町について赤木に説明すような自分も頷きながら一人喋っていた。
明治以降小説家が住み着いたことや結核などを患った文化人の保養地等だった事に一人感心していた。
「だから古めかしい佇まいがあるのねぇ、この洋風の家はアンティークものねぇ」
「当時はハイカラだったんだろうなぁ」
「歴史を感じるっていいものねぇ」
「でも今の生活を見るとがっかりするよぉ」
「そこまで深読みする必要は無いわ」
小さな石造りの橋を渡ると竹寺の報国寺があり、ささやかな山門を潜り鐘楼を横切ると、裏庭に林立する竹が見えた。
青竹の隙間から斜めに入りる一つ一つの日差しは青みがかった縞模様をつくり隔離された境地を演出している。
社会人になり、周りの大人達に歩調を合わすために意識的に大人になろうとしているのかぁ。
それとも無意識の裡に大人社会に柵の組み込まれてしまったのかぁ。
以前のオットリシタ仕種を忘れたのかぁ。
世間に切り捨てられたのかぁ。
あぁ、スマートな社会人になる必要が何処にあるんのかぁ。
「この間の会合引越しで休んだでしょう、クラブ今年の夏アルプス辺りに登る予定よぉ、幹事さんと鈴木さんもそういう話で纏めるらしいわ」
「あぁ聞かれたよぉ、中高年は日帰りコースに毛の生えた所にしか行ってないけど赤木君どう思うかと鈴木さんに」
「次郎さん、嬉しいんじゃないのぉ」
「まぁ、穂高ならば」
「どの山に登るかは知らないけど、鈴木さん少し元気が無いみたいだったわぁ、以前なら自分の意見を言ってたのに、この間は他人の意見に素直に頷いてるだけ、何か心境の変化でもあったのかしら」と詮索するように口を尖がらし、コーヒーカップをスプーンで何度も掻き回し不可解な事に悩む様に首を傾げた。
「誰だって、盆と正月ばかりの日々じゃないよぉ、四季夫々を味わいながら生活してるから」
「私もそうかしら」と他人の事の様に次郎の答えと言うより反応を試す風に聞いてきた。
これ以上ここにいると、折角の住まいが灰色の淀んだ色に染まる気持ちになったから場所を変えるべきだと思った。
去年辺りは若さという精神的な表れである華やかな服装が、今は薄いグレー系のカーディガンは年寄り臭く感じられた。
「少し地味じゃないの」と一言口に出すと
「職業柄派手な格好は出来ないの」と軽く受け流された。
以前なら赤木に言われると戸惑い(可笑しい・派手じゃない・こちらの方がいいかしら等)、揺れ動く乙女心を露にした筈だった。
「シンプルが一番楽だわ」と黒髪を頭で振り分け後ろで束ね赤木の次の言葉を遮断するかのように新しい顔を拵えた。
身近な会話からも素直な答え方ではなく・・・そう可笑しいかしらという疑問符を打てばまだしも・・・耳を貸そうとしない振る舞いである。
ああ言えばこう言う何かにつけて自分なりの意見を言いたがる一言居士になってきている。
以前ベートーベンが一人分のコーヒー豆は60粒と言ったことを知ってか、コーヒー豆を60粒一人分と手際よく数えながら、コーヒーミルでマンデリンを挽いてる。
鈍いランプの火だけに頼らず、要領よく適度に温めたお湯をビンに入れ、サイフォンのアルコールランプに火をつけている。
こんなコーヒーの入れ方一つの事に関しても、急ぐ必要が無いから水から暖めてもいいのではないかと思いつつもなすがままにさせている。
同じ様に赤木の方も自分の意見は通す性格だし、自分の領域に和歌子の意見が否応なしに入りこむ事に嫌悪感を感じる。
だから以前の対話する感じと違って、争いを避けるために拒絶反応的な解った解ったよという皮相的な応答が目立っていることは確かである。
鎌倉に移った夜和歌子から電話が入った。
「明日行くわ、・・・給料が入ったし新居祝いにご馳走するわ・・・」と事務的な言葉が立て板に水を流す感じに次々出た。
昼前に、時間に正確なのが取り柄だがその分相手に対しても同じように正確さを求める。
道に迷うこともなく、東京駅から何時何分に乗るから・・・何時にアパートの着くわ、の言葉通りに寸分違わずにアパートのドアをノックしてきた。
パック入りの寿司と洋物の甘味嫌いの赤木の唯一好きなケーキモンブラン、それに機嫌を損なわない配慮の、否、タバコとコーヒーがあればと口癖になっている赤木に対する心遣いのマンデリンコーヒーをデパートの紙袋から取り出し、法律書が無造作に積まれたコタツの上を素早く片付け昼食の準備をした。
「東京駅からだと、少し時間が掛かるわねぇ、通勤圏と言うけどサラリーマンは大変ねぇ」と嫌味のつもりではなく、時の隙間を埋める挨拶程度の解り切った事を台所で湯を沸かしながら切り出した。
「そう思うのは、話す相手がいない一人でだし、観光気分じゃないからだよぉ、小説か何かの本でも読んでりゃ、アッという間よぉ」と赤木は下北沢に住んでいた時と同じように東京鎌倉間の時間を論じるのは問題外と言う気持ちを込めて言い返した。
「それもそうだけれど・・」と自棄に時間距離に拘る小首を傾げた仕草に若干心地悪さを感じはじめた。
「住めば都・・良い寺が近くにあるぞぉ」と赤木は自分自身を冷静になることを戒めつつ、この町には癒されるものがある話題に会話を切り返そうと思った。
一週間後赤木は再度鎌倉を音連れ、駅前近くの不動産屋に行き2・3の物件を見た後、駅から廿分ほどのアパートの決めた。
赤木の性格から迷うことの煩わしさ、住んで見ないと良し悪しは解らないと言う衝動的な気持ちもあった。
バス・トイレ・三畳の台所・三畳六畳の畳部屋、真ん中の部屋だから日当たりを我慢すれば家賃は手頃だった。
不動産屋で全財産を叩いて、何時でも入居可能な状態で昼間でに契約を済ませた。
この町がこれからの住まいになると思うと、古都とは言え大きく息を吸い込むと新鮮な町の香りを感じた。
駅からアパートまでのほぼ中間に八幡宮があり玉砂利の境内を歩く人朱塗りの社殿で賽銭を投げ入れ拍手を打ち鳴らしている人々を見て、俺は観光客じゃないぞぉという俄か住人の気分に滴った。
青葉茂れる段葛からせせこましい小町通へと鎌倉駅に向かい、余所者としての自分に終わりを告げ鎌倉を後にした。
その夜、こちらから連絡するつもりのなかった和歌子から電話が入った。
「やっぱり、でも決まってよかったわねぇ」と言う多少意気消沈した
溜め息交じりの声を耳にした。
「引越しは月曜日にしてくれたら私も手伝うわ」
「天気の成り行き次第で決めるから」と別に手伝ってもらうことには越したことはないが愛想ない返事で電話を切った。
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